気ばかり若くても折に触れ「とりすぎた自分の年」を痛感して憮然とすることがしばしばあります。
一昨年の秋でした。オカリナの仲間7人で老人会の昼食会にボランティア演奏にいきました。その練習のとき80歳になられたばかりの男性が「当日は文化の日の一日前ですから、明治節をふきませんか」と楽譜も持参で提案されました。11月3日の文化の日は戦前は明治節(めいじせつ)という4大節(1月1日・元旦、2月11日・紀元節、4月29日・天長節、11月3日・明治節)のひとつでその日は学校で厳粛な式典が行われました。
教頭先生が奉安殿に奉納してある教育勅語を四角のお盆に載せて捧持し、しずしずとはこんで校長先生にお渡しします。
お二人ともモーニングの正装、白い手袋をはめていられるのが印象的でした。校長先生が勅語の巻物を少しずつ広げながら奉読、続いて訓話があり、それから君が代に続き明治節の歌を一同で斉唱する、これが私の記憶しているおぼろげな式次第です。
とにかくどんないたずらっ子もこのときばかりは神妙に首を垂れておとなしくしていました。先生が怖い時代でした。
式が済んで教室で紅白のお饅頭をいただき、その日は授業もなく帰ることができてその点はうれしかったのですが、寒いときは頭を下げていると鼻水をすする音があちこちで聞こえます。「はなをかんでおけ」と注意はあるのですが教育勅語というのは長いのです。じっと我慢でした。
前置きが長くなりましたが7人のうち明治節を知っている人が3人いましたので曲目に加えることにしました。
3人だけで練習をしていたとき他のメンバーが入ってきてかけられた言葉がショックだったのです。「明治ぶしすんだ?」一瞬3人はポカン、ややあって一斉に「ギャハハ・・」と笑いだしました。笑いの中にはとりすぎた年に対する自嘲がふくまれて複雑でした。
彼が明治ぶしといったのは無知ではない。無経験なのです。「せつ」と「ぶし」のちがい、まったく面白くない歌だけれど格調高く荘厳な明治「せつ」とたのしいけれど砕けた民謡の「やすきぶし」とか「そーらんぶし」、そのギャップの大きさは70歳後半位しか理解できないみたいです。それで全然かまわないのだけれどわれわれの話や可笑しみが通じる人がいなくなったのがやはり寂しい。うちで話したら娘も「それがなぜ可笑しいの?」ときょとんとしました。彼女もまた無経験の世代でした。
その後、私はクラスメートにはなしました。私の感情がすんなり彼女の胸に流入されたみたいで「可笑しいよ、十分可笑しいよ。」と大笑いでした。以来同年代の人によくこの話をします。間違いなく皆笑い出します。「50年そこそこでこれだけすれ違いがあるのに源氏物語なんて千年以上も愛読されてすごいね」と話題が飛躍したりします。
ともあれ、話の通じる人がまだ少しはいました。それが次第に減っていくことは確か、もし一番後まで自分が生きていたら・・ああシーラカンスみたいな長生きはしたくないです。