2007年9月11日火曜日

今昔の感


この写真は名古屋駅から東に延びる桜どうりを写したものです。元気な名古屋の堂々たる表玄関の景観です。
ここでまた古い話を持ち出して恐縮ですが、70数年前はとても狭い通りでした。名も桜ン町といいました。道幅は3間くらいでしょうか。私は尺貫法のことはよく知りませんがまだあのころは日常的には「背丈は5尺2寸」とか「間口が5間」だとか古い言い方がつかわれていました。
有名な西区の4間道(しけみち)が江戸時代、防火のために当時としては広い道として作られたと聞きました。桜ン町もそれくらいか少しそれより狭いかなとこれは私の当てずっぽうです。ちなみに1間は1.8mだそうです。
私の小学校はこの桜ン町にあり、この道は通学路でした。老舗の繊維問屋、滝兵さんの3階建の洋館が唯一目立つ建物で庶民的な家がつつましく建ち並んでいました。交通事故の心配などもなく、のんびりゆったり学校へ通いましたが、2年生のとき道路が広くなりました。それが現在の広さですから当時としてはとてつもない夢のような広さ、べらぼうなひろさだったのです。おかげで私たちの小学校は講堂が道路拡張のため削られました。以来、2年から6年まで学芸会は無し、祝日の式なども運動場でした。
まだ隣の小学校は運動場が削られたということでした。戦災で焼けるまで10年ほども運動場のない小学校があったなんて今では信じられないことですが・・私の記憶違いでしょうか。なんだか自信がなくなりました。
桜どうりというからには桜並木があったのではないかと思いますがそれは私の記憶になく銀杏並木だけおぼえています。あのあたり今あまり通りませんが大樹になって亭々と聳えていることと思います。6歳の子供が80ばあちゃんになってしまったのですから・・・

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